「ザ・プトーン」 は旧市街のサームプレンと呼ばれる大変古い地域にあります。19世紀に歴史を遡ると、ここはバンコクで初めての西洋風ビジネス地区であり、最初の道路が建設され、また、初めて高級店の事業が興された場所でもあります。

「サームプレン」とは直訳すると「分かれ道(fork road)」で、その名の通り、プレンプトーン、プレンナラ、プレンサップパサートの3つの通りを表しています。

プレーンプトーン通り

プレーンプトーン通りは、プータレスダムロンサック王子の名が由来となっています。彼は首都業務を司る省の検察部署を運営する長官でした。


彼の宮殿は、ラーマ2世時代の旧宮殿跡に建設されました。1897年、彼が若くして亡くなると宮殿は放置され、徐々に現在のショップハウスへと様変わりしていきました。

プレーンナラー通り

プレーンナラー通りは、ナラーティップパラパンポン王子がその名前の由来となっています。彼が多分野での事業を始める前は、王室財団管理局の大臣でした。


最終的に彼はパフォーミングアートに情熱を傾け、自分の宮殿の一部を「パリーダーライ」と呼ばれる劇場に変えました。

プレーンサッパサート通り
プレーンサッパサート通りは、サップパッサパートスパキット王子の名からつけられました。彼は才能豊かな金細工職人であり、職人局の局長を務めていました。
博識でユーモアあふれる彼のことを、ラーマ5世は親しみを込めて「侯爵(デューク)」と呼んでいました。 ラーマ5世のヨーロッパ歴訪の際には彼も同行し、その過程で近代芸術のメソッドを習得し、それらとタイの伝統工芸を融合させました。彼の宮殿は、西洋芸術に対する彼の理解の正確さが見事に体現されたものでした。
 

         3人の王子の時代には、住民から税金を徴収するため、宮殿の並びに棟列長屋風のショップハウスを建てることが通例となっていました。またプレーンプトーン通り沿いのショップハウスはプレーンナラ通りのものと大変似通っています。それらは大抵2階建ての棟列長屋風で、狭い正面口、カイトの屋根瓦、通気口の上のアーチ、耐力壁、蛇腹式の木製ドアの連なり、穴のあいたひさし、という造りになっています。
プレーンプトーン通りの窓の欄干を除き、主にジンジャーブレッドスタイルと呼ばれるビクトリア様式のコロニアルな建物です。
しかしながら、プレーンサラパサート通りのものはかなり異なっています。ほかの2か所に比べて細い骨組、セメントタイルのひさし、ブロックごとに並んだ細長い柱が特徴です。
         古いショップハウスの多くは時代の流れに抗えず、生き残ることができませんでした。とりわけプレーンサッパサートのものは大火事により焼失し、荒廃してしまいました。幸い、プレーンプトーン通り周辺は以前の状態まで回復することができました。半世紀以上前から残る古い店も依然活気があり、人々の生活様式も保存されています。プレーンプトーン通り一帯は「保存状態のよいコミュニティ」として美術局に登録されました。